top of page

​國岡昭夫先生を偲ぶ

  • Facebook のアイコン
  • Twitter のアイコン
  • LinkedIn のアイコン
  • Instagram のアイコン
國岡先生.jpg

大学名誉教授・元理工学部長 

井出英人

 國岡先生(第13代 青山学院大学学長、元理工学部長)が先月8月27日亡くなったと電気電子工学科同窓会 野澤教授より連絡を受けた。「えっ」と思いました。最近までお元気だと聞いておりましたので……。一気に國岡先生との思い出が湧き立ってきました。

​ 先生は定年後、私学振興・共済事業団の理事長を1年間務められました。その後、軽い脳梗塞を発症しましたが、すぐにお元気になり、年に1〜2回お会いしておりました。5年ほど前までは、時に電話、年賀状の交換で…。

 心からご冥福お祈りいたします。

 私は理工学部開設の翌年、1966年4月1日に先生と同時に電気電子工学科に着任しました。もちろん先生は「半導体工学の助教授」として34歳で、私は助手としてでした。


​ 東京の武蔵野に生まれ都立武蔵高校から東京理科大物理より電電公社(今のNTT) の研究所、そして東京工大の斉藤幸男、酒井善雄の研究室の実習生として勤務後、青山学院創立90周年の時、理工学部開設により勤務しました。3年後の電気科懇親会での箱根での写真を示します。

後列右から二人目が國岡先生。

後列左が筆者。

 先生は颯爽とされていて、いつもニコニコして学生、教職員と接し、尊敬されていました。時々ユーモアを交えての話もうまく、黒板の字も丁寧で綺麗でした。

 CdSの光効果を研究し、4年後に東工大で博士の学位を授与されました。この論文は、青山学院学術褒賞を受け、内外で高く評価されました

 その後、米国、英国に留学し、1976年に42歳で教授になられました。その他太陽電池に標を絞り、世界一の変換効率を達成しました。

 学園紛争を機に、学生問題、寮問題、またキャンパス移転などなど次から次に能力を発揮されました。理工学部長となり、選挙を通して初めての理工学部出身の学長に1995年になりました。(冒頭の写真はその時のもの)

 先生は、多くの人たちから多くの議論を導き出し、それをまとめて全体の意見とすることが本当にうまく、不満も出なかったようです。誰からも信用され、それが相模原キャンパス移転の実現につながりました。

 

 一方若い時、先生は決まって5時に帰られました。小生が時々駅で会うと先生はニコニコして「これから学会(電気、通信)の会議」といつも言っていました。しかし何回も会っているうちにある時「高齢の父が一人で日吉にいるので介護に行くんだ」と打ち明けられました。先生は相当長く、20年位介護していらしたようです。

 先生は学生時代からクリスチャンであり、近所の聖心女子大学の学長ともご懇意であり、聖心女子大に、当時の皇后、美智子様が来訪される時、何回か会ったとおっしゃり、嬉しそうでした。

 

 國岡先生、本当にありがとうございました。ゆっくりとお休み下さい。

 

 2023年9月20日

bottom of page